田代城Ⅱ(函南町)
田代城Ⅱ(たしろじょう)【田方郡函南町田代字大田原】
平山城
田代信綱
鎌倉時代、源頼朝の旗上げに加わった田代信綱の城と伝えられる城跡
田方郡修善寺町田代の田代城跡とともに鎌倉時代源頼朝の旗上げに参加した田代信綱の城跡と伝えられる。
『増訂豆州志稿』『伊豆鑑』では、初め修善寺町に居住し、後に移住したとしている。
同書には田代村の東北6、7町とあり空堀、廃井戸が残り、大判や鏃、磁器などが発見されたと記述され、山下の居館跡は竹藪となっていると伝える。
又これと数町を隔ててもうひとつ城山と呼ぶ砦跡があるとしている。
八重窪横穴群(函南町)
八重窪横穴群【函南町・町指定史跡】
現在までに38基が確認され、北伊豆の横穴群の単位構成を研究する上で基本となる遺跡として評価され、一部の調査により7世紀の後半には形成が始まっていたことが判明しています。
(函南町HPより 抜粋)
田代城Ⅰ(函南町)
田代城Ⅰ(たしろじょう)【田方郡函南町桑原字国見岳】
平安末期
田代から熱海街道を熱海峠に登る中間付近に位置する山城
田代から熱海街道を熱海峠に登る中間付近に位置し、周囲は深い谷で、一見独立丘上を呈する標高585mの山を城山と呼んでいる。
山頂からは田方平野一帯の展望は良い。
現状は山林である。
城郭遺構らしいものは不明である。
中里横穴群(函南町)
中里横穴群【函南町・町指定史跡】
現在までに3群51基が確認され、狩野川左岸の北江間横穴群を中心とした地域で、最大かつ中心的な横穴群として知られている。
中には幅3〜4m、玄室2つをもち全長が7mを超える(入り口側は未確認)巨大なものもあり、横穴群の形成は7世紀前半から始まっています。
(函南町HPより 抜粋)
田中城(函南町)
田中城(たなかじょう)【田方郡函南町桑原字丸山】
山城
田中内膳
北条早雲を堀越公方の後見として韮山城主にさせたと言われる田中内膳の居城
『増訂豆州志稿』は興国寺城の伊勢長氏を堀越公方の後見として韮山城主にさせ、鎌倉北条氏の跡目を継承させたと言われる田中内膳の居城としている。
又内膳については長氏の外祖父横井掃部助の親族で長氏を女婿とするとある。
桑原の北、入谷の通称丸山と呼ばれる谷の中に張り出した独立した小高い丘がそれである。
周囲は急傾斜で北部のみ尾根線でやや緩やかである。
北は冷川が流れる。
比高約20m。
現状は山林である。
東から西に延びる尾根の中央を空堀によって、区切りとしている。
西郭の周囲には輪郭状の遺構らしいものも見られる。
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