向原館(函南町)
向原館(むかいばらかん)【田方郡函南町柏谷】
源頼朝に関係すると伝えられる経塚が所存する六万部寺境内にあったとされる館
比高約10mの低い丘陵上、東端部に位置する。
六万部寺の境内がそれである。
六万部寺は源頼朝に関係すると伝えられる経塚が所在する。
笹ヶ窪遺跡(函南町)
高源寺(こうげんじ)【函南町】
約1200年前に弘法大師によって開基。
山火事により伽藍焼失し、1190年に源頼朝によって「長久寺」から「高源寺」と源氏の字を入れ寺名をかえ再復興されたと伝えられる。
聖観音(坐像・浮彫)など一見すべき石仏が祀られている。
函南町桑原
(三島山里倶楽部HPより 抜粋)
肥田古館(函南町)
肥田古館(ひたこかん)【田方郡函南町仁田字古屋敷】
肥田氏、あるいは仁田氏の館と伝えられる館跡
一説に肥田氏の古館跡と言われる。
柿沢川に近い水田地域で詳細は不明である。
仁田氏の館跡とも言われる。
高源寺(函南町)
田方郡函南町桑原にある高源寺は弘法大師(空海)によって開かれたという古寺。
平治の乱の敗北によって伊豆国の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が、文覚と源氏再興の密議を行った寺と伝えられ、石橋山へ進軍する頼朝軍の「軍勢ぞろいの地」とも伝えられている。
当時の高源寺は、長久寺と称する真言宗の寺で、修行の道場として伊豆国一円を支配していたものと考えられている。
山火事によって伽藍を焼失してしまうが、1190年(建久元年)に源頼朝が再興し、名をそれまでの「長久寺」から源氏の一字を入れた「高源寺」と改めたと伝えられている。
現在は曹洞宗の寺。
仁田館(函南町)
仁田館(にったかん)【田方郡函南町仁田】
仁田四郎忠常兄弟のものと伝えられる館跡
『東鑑』に記載される仁田四郎忠常兄弟の館跡と伝えられ、現在もその子孫の宅地である。
忠常は狩野氏とともに大島の源為朝を打ち、その後源頼朝に従い戦功が多かったが、建仁3年(1203)比企氏の乱に関係して、北条時政のために兄弟とも殺される。
東側が来光川に面した自然堤防上に位置し西は少し低地であり、おそらく堀之内という地名から堀を巡らせてあったと思われる。
現在は宅地や畑であるが、一部土塁状の遺構が残存する。
又、宅地内に忠常兄弟の墓と伝えられる五輪塔3墓がある。
『静岡県史』は仁田字鍛冶ケ久保、古屋敷付近ではないかと推定している。
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728