山中一里塚(函南町)
山中一里塚【函南町】
一里塚とは街道の両脇に距離の目安として一里(約3.9km)ごとに築かれた塚のこと。
塚の上には目印となる木が植えられ、馬や籠賃の目安でもあった。
山中の一里塚は江戸から二十六里目で、北塚は無く南塚だけが残っています。
大きさは約12.7m×10.9mの楕円形で、高さは約2.0mです。
(函南町HPより 抜粋)
火雷神社の断層(函南町)
火雷(からい)神社の断層【函南町】
国指定の丹那断層(畑)と同じ断層上のズレの跡。
ここでは鳥居と階段の間に断層が走り、両者が地上の目印となって1m余のズレが見て分かる。
丹那断層とともに世界的にも大変著名な断層跡です。
(函南町HPより 抜粋)
山中城跡(函南町)
山中城跡(やまなかじょうあと)(岱崎出丸)【田方郡函南町・国指定史跡】
天正17年(西暦1589年)、全国統一を進める豊臣秀吉と敵対した後北条氏が、三島・韮山方面からの街道の抑えとして山中城に出丸を増築。
しかし、翌18年に未完成のうちに戦いとなり僅か半日で落城してしまいました。
用地の公有化と発掘調査及び整備事業は三島市が実施しています。
(函南町HPより 抜粋)
火雷神社の社叢(函南町)
火雷神社の社叢(しゃそう)【函南町】
タブノキ(タマグス)3本を中心とした樹木・潅木類で構成される社叢。
タブの木は比較的低地に多く分布するが、ここは県内3番目の高所に位置し、樹高も3本のうち最も高いものは県内第2位の巨木です。
(函南町HPより 抜粋)
柏谷横穴群(函南町)
柏谷横穴群(かしやよこあなぐん)【田方郡函南町・国指定史跡】
丘陵の斜面を横に掘って墓室とした古墳時代後期のお墓(横穴墓)で、古くから「(柏谷の)百穴」と呼ばれています。
東西600×南北250mの範囲に総数300基はくだらないと推定される県内最大規模の横穴墓群で、北伊豆では最古の6世紀終わり頃に形成されはじめ、最終段階(8世紀末頃)には火葬骨を納めた例も認められています。
史跡に指定された範囲は全体のうち保全状態が比較的良好な一部で、現在柏谷公園の最も奥(北)側に位置しています。
(函南町HPより 抜粋)
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